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性の文化人類学(1) 有史以来の謎としての性

大学時代の専攻は文化人類学だった。卒論のタイトルは「権力による性道徳の形成と人間の本質」。世界中には多様な民族、宗教、文化が存在するが、人類には普遍的な特性もある。食べること、寝ること、排出すること、喧嘩すること、セックスをすることなどなど。

しかし性の問題はデリケートであり、文化人類学や民俗学でも研究対象として取り上げられることは稀であった。私が在学中は日本語のテキストもほとんど無かった。 長年日本では「天皇制」と「性」は研究テーマとしてタブーとされてきた。しかし、「性」に関する認識の違いを相対的に考察していくことは文化人類学のテーマとして格好のテーマであると確信しています。 私の卒論は、学術的は評価はともかく、読み物として面白かったと評判だったので何回かに分けて私の卒論からトピックス的に紹介していきます。民族、宗教、文化、価値観の違いによる「溝」が絶望的に思える近頃の世相だからこそ、人間の多様性の中に普遍的な共通項や調和の鍵を見出してみたいという希望をこめて

人間がどのように「非存在」から「存在」へ移行するのか、またそうした現象をどのように認識し、秩序だてていけばいいのかは、洋の東西を問わず有史以来の謎であった。歴史の縁にいる我々もこうした謎に対して宗教的にも、哲学的にも、科学的にも暫定的な解答をそれぞれの時代、文化、文明の枠の中で与えているのに過ぎない。 「性」は様々な領域の問題に直結される。神聖な生命誕生のプロセスは宗教、神話の存在基盤に重大な意味を与え、倫理、道徳をはじめ、婚姻形態、法体系までをも形成する。神聖なものとしての「性」は、快楽としての「性」と表裏一体であり、生殖にいたらない性行為、同性愛、自慰、避妊、獣姦などは時代、文化、価値体系により激しく弾圧の対象となっていたこともある。また性交は肉体同士の密着した行為なために、世界中で問題となっているエイズのような感染症も避けられない問題として付随してくる。

「性」という日本の言葉は明確さに著しく欠ける。この「性」は、中国における「性善説」などに見られるように「生まれつき持っている心の働きの特徴」(「学研漢和大辞典」 藤堂明保 編)という意味を受け継いでおり、ラテン語の「割る」という意味のSEXUSを語源とする英語のSEXとこの「性」との完全なる一致を求めるのは土台無理がある。英語には使用する人と文脈により一様ではないが、少なくとも「セックス」、「ジェンダー」、「セクシュアリティ」と三語あるのに比べ、いずれも日本語では「性」という用語でしか表現できない。この三語を際立たせてみると「セックス」は「男女の区別のもとになる生殖器の構造および機能の差異と生理的差異の総称」でありいわば生物学的カテゴリーといえる。「ジェンダー」はもともと文法的意味合いにのみ使われていたが、1960年代後半頃から男らしさ、女らしさのように文化的、社会的に求められ、作られた男女性差による役割や地位、行動形式のカテゴリーを示してきた。「セクシュアリティ」は一番古い例として1800年の例文(OED)を上げていて植物、昆虫、動物の生態における有性生殖についてのみの狭義に使われていた。これが現在使われているような「性的能力を有すること、性的感情を持ち得ること」という意味、用法に近づいてくる例として1879年の医学書が紹介されている。こうして歴史を通じて性的活動、経験によるなんらかの概念が生じ、新しい意識が芽生え、一連の用語が形成されきたことは興味深い。

2015.2.18.

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     「性と出会う」(松園万亀雄 責任編集  講談社)

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