【初日】山形国際ドキュメンタリー映画祭
隔年で開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭。世界を感じるために山形に足を運ぶ。 2年前にはじめてこの映画祭に参加し原稿を執筆したことがありました。
クロスメディア考現学(9)山形国際ドキュメンタリー映画祭で感じたこと
本年の初日である2015年10月9日に観た映画があまりにも素晴らしく、山形まで足を運んだ元が十分にとれたと確信しました。
今日観た作品は以下の4本です。
わたしはここにいる
ペルーの三つの地域の音楽ドキュメンタリー。喜びも悲しみもすべて歌にする。どんな感情も歌にする姿勢に大いなる刺激を受ける。楽器そのものや音楽の旋律なども興味深い。人種が混じり合うペルーの庶民にフォーカスを当てていて、通過儀礼や文化人類学的な視点からも多くの収穫がある作品。「叫び」(”El Grito”)(メキシコ) 1968年のメキシコオリンピックの直前に起きた悲劇をイタリア人の女性ジャーナリストが文字通り命がけで制作したドキュメンタリー。「トラテロルコの夜 メキシコの1968年」(藤原書店)を読了していたので自由と民主化を求める学生たちへの発砲、暴力により250人以上の死者を出した悲劇「トラテロルコ 事件」を映像で目撃できたのは大きな収穫。 「6月の取引」(ブラジル) サッカーW杯の開催を間近に控えたサンパウロの経済、市民によるデモやストライキの様子を個人にフォーカスを当てて丹念にレポート。労働者の健全なデモ隊に向けて催涙弾を容赦なく打ち込む映像には怒りが沸き起こった。 「銀の水 ― シリア・セルフポートレート」(フランス・シリア) 冒頭から拷問される少年の映像や殺戮の現場といったショッキングなシリアの凄惨な映像が続けざまにスクリーンに投射される。フランスに亡命したシリア人とシリアのホムス在住のクルド人女性監督とのSNSのやりとりから生み出された作品。映像の過激さだけでなく、ドキュメンタリーの表現手法としても引き込ませる手腕が備わっている。それだけ伝えたいという命がけの想いが伝わってくる。
2015.10.10.