3月28日(土)の最終回で昨年の4月からはじまった原一男塾長のnew CINEMA塾は終了した。皆勤賞ではなかったが都合がつくかぎり水道橋のアテネ・フランセに足を運んだ。これまで出会うことのなかった貴重なドキュメンタリー映画に出会うことがきたのは幸運な経験であった。年間を通してのテーマは「極私(セルフ)の系譜〜映像の中の欲望(わたくし)たち〜。
特に印象的だった作品を上げるとすると以下になる。
「ファザーレス」(茂野良弥 監督 村石雅也 主演)
「家族ケチャップ」(工藤義洋 監督 牧野吉高 主演)
もともとこの講座に関心をもったのは2014年6月28日に開催された第三回「父との会話」というテーマでヤン・ヨンヒ監督の「ディア・ピョンヤン」が「エンディングノート」(砂田麻美監督)と共に取り上げられると知った段階で年間受講の手続きを済ませた。
私自身、実は大学卒業時に志望していた就職先はドキュメンタリー番組を作るためにNHKに入局することだった。社会人になってから今現在発病しているチェ・ゲバラ熱の萌芽が学生時代にあって、在学中に開催されたラテンアメリカ映画祭でエイゼンシュテインの「メキシコ万歳!」やブラジル映画「ピショット」を見て衝撃を受けたのがきっかけだった。ラテンアメリカを観ることで現代社会の実態、虚像が裏写しされるように感じ、それは象牙の塔的な学術的アプローチではなく、まさにドキュメンタリー映画の手法で現実社会に迫ることができるように当時の未熟な自分自身の浅はかな将来の展望だった。 学生時代に購入して今も手放さないでいる書籍の中に「ゆきゆきて神軍」(原一男・疾走プロダクション 話の特集 1987)がある。ドキュメンタリー映画の金字塔と言われる「ゆきゆきて神軍」を学生時代に観た衝撃は今も忘れない。当時から原一男という存在は自分の中で大きな存在であった。
最終回にかわなかのぶひろ監督が胃がん、咽頭がんの手術を経て、十分に声がでないような状態でふりしぼるような声で語っていたことが印象的でした。
「画家が毎日デッサンするように、音楽家が毎日演奏するように、小説家が毎日文章を書くように、映画監督である私はこれからも毎日映像を撮影し続けていきます。」
表現者として生きるなら、「芸術家」(アーティスト)としての奢りよりも、この「職人」(アルチザン)的な日々の鍛錬というものがいかに大事かということを再確認した想いでした。 ドキュメンタリー映画というものは商業的に大成功することはどう考えても少ないでしょうから生涯を通じてやり抜いていくには生半可ではない強靭な覚悟がないと続けていくことはできない。自分のように志半ばですっかり別の道に進んでしまったものは、あくまでも「観る」側でしかありませんが、日の当たる場所では決して知ることができない、観ることができない「現実」を映画という表現手段の中に結晶化させるドキュメンター映画の数々は、今後も人々に重要なビジョンを与えてくれると期待している。私自身も受けた感動、衝撃、怒りを自分のフィールドの表現に爆発させていく決意を新たにいたしました。
2015.3.29.