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性の人類学(3)エロティック・コード

あらゆる文化には、性衝動を高めるエロティック・コードなるものが存在する。つまり文化が異なれば何をもってエロティックと感じるか、身体の中でどこを露出すると性的に高揚するかはそれぞれ異なるのである。さらにいえば同じ文化体系の構成員であっても個人差による多様性が生じる。

たとえば日本においても欧米においても兄弟と姉妹が共に食事をとることはいたって「ノーマル」に思えるばかりか家族みんなで食事をとることは家族の平和や絆を象徴しているとされ思える。しかしある社会では共食という行為が夫婦関係の特徴として受けとめられ、夫婦以外の異性との共食は許されず、兄弟と姉妹が共に食事することは近親相姦を連想するものだとして忌避されている。さらに夫婦の共食であっても客人の前では控えるという社会もある。

また身体的な部位によるエロティック・コードによる違いでいえば日本においても欧米社会でも女性の乳房は性的な意味合いを多分に含んでいるが、ニューギニアをはじめとして女性が乳房を露出している社会も多くある。つまり乳房は愛情表現や前戯のための部位ではなく、赤ん坊や育児を連想する身体部位であるとされる。またサモアでは臍に性的高揚を感じるためにビキニ姿の女性などはありえないということになる。一方、イスラム社会のように女性は顔まで覆い隠すような社会もあるし、日本や欧米ではスラックスをはいた女性はスカート姿よりも活動的であり、男性的なイメージで受けとめられることが多いと思われるが、女性の尻、脚線といった身体の形態がスカートよりも強調されるのでスラックスの方がエロティックな服装として小中学校の女性教師はその使用が禁じられている国もある。

日本や欧米では性的魅力を高めようと様々なダイエットが半ば脅迫的に喧伝されたり、スリムな身体であることが魅力的であるとということが前提の価値観になっているようにも感じられる。しかし豊満な身体の方が魅力的であるとする社会では青年期の女性たちが小屋の中に入り、カロリーの高い食事を無理にでも摂取して「魅力的」な身体になろうとしたり、イスラム社会の中では直接オリーブオイルを飲むようなところもある。

こうしたエロティック・コードの違いは文化や社会による違い、つまり共時的な違いばかりではなく、通時的、つまり時代によっても大きく変遷をとげる。たとえば日本の浮世絵や春画を見ても現在のエロティック・コードの尺度から見ると違和感を感じるし、西洋においても数世紀前の絵画に描かれた女性たちは現在の理想的と言われる身体よりも豊満な姿が多いように感じる。

こうしたエロティック・コードがどのように社会で扱われ、モラル、規範といったものが法制度や宗教に組み入れられていったのかというのも興味深い。次回はキリスト教を題材に考察します。

2015-03-22 11.39.44

「現代」(1995年3月号 講談社)
特集  性の人類学 読み出したら止まらない知的興奮!

2015.3.22.

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